研修講師

 昨年後半から社員研修の講師の仕事を始めました。機械系技術者への教育でテキストを使って解説をしたり、4~6名のグループに分かれて議論やワークをします。またリモートでの講義となる場合もありますが、この場合は100人程度を相手に話しっぱなしということもあります。サラリーマン時代には大勢(時には数百人)の前でスピーチやプレゼンテーションを行ったり、社内教育を行ったりすることはありましたが、研修講師はまた違った雰囲気があります。

 研修講師は知識や技術を教えるサービスを提供しますが、社員研修の場合、顧客はその研修を依頼した会社です。目の前にいる受講者は直接的な顧客ではなく、サービスの成果を確認する指標と言えるのかも知れません。したがって受講者に訴えかけたり寄り添ったりというよりも、いかに依頼者の意図する状態に受講者がなるかがテーマとなり準備や当日の振る舞いが検討されます。

 ビジネスライクで受講者に冷たい感じがしますね。講師によっては淡々とテキストをトレースしていく方もいますが、私の場合は自身が技術者だったこともあり経験を基に現場で起きるリアルな話(多くは失敗談)をしてしまうため脱線しがちです。もちろん依頼側には事前に十分そうなると伝えて許可をいただきます。経験を重ねながら依頼主、受講者共により高いレベルで満足いただけるよう講師スタイルを確立させていきたいと思います。

 講師を始めて良かったことがあります。それは研修を通して若い世代と係わることがとても刺激になることです。教える一方で彼ら彼女らの新鮮な考え方や発想に触れ感心することが多々あります。また新しいシステムやツールの勉強にもなり、私自身も成長しているように感じます。ただ経験や知識を押し付けるのではなく上手に取り込んで発展に繋げてもらう、そんな係わりができれば最高です。

『子ども』という役割

 先回『介護と仕事』というタイトルで投稿しました。これが呼び水となったのか父が倒れ、短期間ですが介抱することになりました。倒れた後すぐに駆け付けてくれた妹から様態と救急を要請する旨の連絡を受け、急いで自宅に戻り準備をして3時間ほどかかる実家に向かいました。長く患っている泌尿器系の不調が原因のようでした。私が着いた時には病院での処置を終え妹夫婦の介抱により帰宅していました。身体的なダメージもあることから今後についてケアマネージャーさんに支援いただきレスパイト入院の手配までされていました。

 入院までの数日間は介抱が必要でしたが、母は高齢で力も乏しく物忘れも進みつつあるので私が泊まり込んで対応することにしました。前年から会社勤めを辞め個人事業主となっていて仕事の融通が利かせられるのが幸いでした。しかし悪いことは重なるもので、ようやく入院の日を迎えたのですが入院のためのPCR検査で新型コロナウイルスの陽性反応が出てしまいました。療養期間中は入院することができず、さらに数日間の自宅待機が必要となりました。家族全員が相当落ち込みました。

 結果的に10日ほど両親と共に過ごすこととなりました。この間、両親は何度も感謝の言葉を口にしました。父は厳しく強い人でしたので力なく「悪いな・・」と言われると寂しさや切なさを感じました。母は私の妻にも電話していて感謝と共に「会社を辞める時、受け入れてくれて本当にありがとう」と何度も言ったそうです。もちろん親の介護のためにキャリアチェンジしたわけではありませんが、いつか人生を振り返った時に良かったと思う理由の一つになるかも知れません。

 18歳で家を出て以降これほど長い期間一緒に過ごしたことはありません。父の様態からすると自宅に戻ることはもうないかも知れません。そう思うと療養期間は神様が作ってくれた時間だったのかも知れません。キャリア研究の第一人者と言われるドナルド・E・スーパーは「キャリアは、人生のある年齢や場面のさまざまな役割の組み合わせである」と定義しました。この役割のひとつに『子ども』があります。50歳を過ぎ改めてその役割を実感することになりました。役割を果たせているかわかりませんが最後まで全うしたいと思います。

 最後に医師、看護師はじめ病院、保健所、地域包括支援センターの方々、ケアマネージャーさんに感謝を述べたいと思います。父のみならず家族にも寄り添っていただき、丁寧に懸命にご対応いただき誠にありがとうございました。

介護と仕事

 先日、前々職で一緒だった先輩の会社を訪ねました。この先輩とは年に数回ゴルフをするなど退職後も関係が続いています。独身ですが2世帯住宅を建てられご両親と暮らしています。お酒とタバコが大好きで曲がったことが大嫌いという感じで、私が新入社員の頃はいかつく怖い存在でした。後輩に対して厳しかったですが、それ以上に自分に厳しい方でした。

 訪問の調整をメールでやり取りするうちに今年15日の有給休暇を取得したと知りました。年齢を重ねても気力もスタミナもありバリバリ働く象徴のような先輩でしたので大変驚きました。お聞きするとご両親の介護のためで、お父様が要介護2、お母様が要介護1に加え、今年は骨折や病気が重なり本当に大変とのことでした。ご両親の意向もあり介護ヘルパーなどの外部支援は受けずお一人で対応されているようです。お会いした時には大変お疲れの様子で、「周りに助けてもらいながら・・」と力なく話す姿を見るといたたまれない気持ちになりました。

 知識として介護と仕事の両立が大変なことは理解していましたが、長きにわたってその人となりを知りながら両立のために変わらざるを得なくなった先輩の姿を目の当たりにすると知識とは違った重みの理解がありました。私自身も実家の両親が心配になる時期に来ているので尚更なのかも知れません。

 私は昨年コンサルティングで起業し企業と人の支援を始めました。カウンセリングにおいて『ロジャーズの理論』ではクライアントが変化を起こす条件として『受容』『共感』『一致』が示されています。支援者の悩みや困難がより深く理解できるよう知識と共に経験やコミュニケーションを積み重ねていきたいと思います。

創業一周年

 個人事業主となって一年が経ちました。夏に虫垂炎とその合併症で入院を余儀なくし、記念すべき初めての創業記念日は病院内で迎えることになりました。しかし一日中の点滴、コロナ禍での面会制限などの退屈な毎日のおかけでゆっくりと一年を振り返ることができました。

 事業としては計画の甘さや目論見外れなどはありましたが不思議なご縁に救われまずまず順調でした。初受注や売上目標など勢いだけで作った事業計画もおよそ達成することができました。二年目に向けてさらにチャレンジしていきたいと思います。

 不思議なご縁と書いたのは創業にあたって人との繋がりに大きな変化がありました。サラリーマン時代は人と機会に恵まれて本当に良いお付き合いをしていただきました。そこそこ大きな企業でそこそこの役職に就き、そのキャリアで転職をした私でしたが独立起業を機に全ての肩書が取れました。それにより当然ながら疎遠となってしまう方もいます。改めて知らず知らずに付いたタイトルが想像以上に影響していたことがわかります。タイトルは時に私以上の人格を持っていて、私や私の家族もその人格にのしかかられていたかも知れません。

 離れていく人がいる一方、素の私自身に期待して仕事を依頼される方や新しく増えた仲間がいます。サラリーマン時代より一層近づいて本音で話すようになった方もいます。一年を振り返るとお仕事をいただいたりネットワークが構築できたのは、まさにこのような方々のおかげです。偶然に生まれた繋がりもあります。全くの素の私とお付き合いいただいてる本当にかけがえのないご縁です。

 とにもかくにも素の自分で生きることになりました。この解放感はとても清々しいです。これまでのご縁に感謝すると共に今後もひとつひとつのご縁を大切にし、育み、生涯現役で社会の一員となるよう事業を展開していきたいと思います。

 

入院2

 およそ3か月ぶりの投稿となります。先の投稿『入院』の後、待機手術で再入院し虫垂摘出を行いましたが、予後が悪く退院4日後には再々入院となり、そこから19日間の入院生活となりました。その退院後の診察で完治と診断され、ようやく一段落となりました。延べ36日の入院となりこれまでの人生では経験したことのない仕事のブランクとなりました。

 昨年起業しコンサルティング業を始めていましたので、お客様のご配慮もいただきながら比較的柔軟にスケジュール調整できたのは幸運でした。それでも退院のタイミングは病状次第、最悪の場合は再手術の可能性もありましたので、「何月何日までには・・」とお伝えすることができず申し訳なさとストレスを感じていました。記念すべき創業1周年も残念ながら病室で迎えました。

 家族とメッセージのやり取する中に母から「天与の休みと思って・・」とありました。コロナ禍で面会も病棟内の移動も制約されストレスが溜まりそうなところ、この言葉のおかげでいろんな本を読んだり考えたりすることに意識を向け、今後に向けての有意義な時間にすることができました。また、異動、転職、起業と激動のキャリアだったこの数年間をゆっくり振り返えることもできました。「少し立ち止まって、ゆっくり考えてみたら?」とまさに天から与えられた休み時間のようでした。

 今回の入院では家族や多くお方々に心配や迷惑を掛けてしまいましたが、とても多くの学びがありました。私自身はこれまで病気とは無縁でしたので病人となって初めて気付いたことが多くあります。また病人本人だけでなく、家族や周りの方々の気持ち、病気に関連する社会保障や保険など取り巻く環境についても改めて気付いたこともありました。この経験を今後の対人支援に生かしていきたいと思います。

 『やりたいことはやれるうちに』を今回痛感しました。とにもかくにも健康第一!健康寿命を少しでも長く延ばしていきたいです。ゆるりと投稿も再開します。

世代

 ある年代をまとめて呼ぶときに世代という言葉があります。団塊の世代、団塊ジュニア世代、ゆとり世代、ミレニアム世代、Z世代(ジェネレーションZ)などいろいろあります。また新人類や(就職)氷河期時代などと分類することもあります。私はバブル世代とも新人類とも呼ばれました。また親や子がそれぞれの年代あたりを親世代、子世代と呼んだり、会社の経営者ごとに先代とか先々代と呼ぶこともあります。

  世代として一括りに呼ばれたくない、画一的に決めつけられているようで嫌だ、という意見を聞くことがあります。一方、そもそも世代を選んで生まれたわけではなく、たまたま生まれ落ちた年代なので全く気にしないという方もいるかも知れません。しかしながら私は世代という言葉には何か共感するものがあります。

 世代名が表すようにそれぞれの世代には望もうが望まなかろうが独特の環境の中で生きることになります。不憫と思われる世代もあればラッキーと思われる世代もあります。それでも多くの人は卑屈になったり浮かれたりせず生きています。それぞれの世代を認めて自分の役割を全うしようとしているように見えます。そうやって世代を繋げていくのが人の営みのようにも思えます。

 私自身がセカンドキャリアをスタートするにあたってこの『世代を繋ぐ』ことをテーマに考えました。これまで、またこれからの習得によって得られたものを余すことなく使って実現していきたいと思います。その思いを込めて屋号をつけました。私も私世代の役割を果たせられたらハッピーです。

医療スタッフ

 先月初めて病気で入院し気付いたことがあります。それは医療スタッフの若さです。最前線で奮闘されているドクターはじめ看護師、サポートスタッフの多くがとても若いと感じました。これまでの私の病院に対するイメージは重鎮のような雰囲気のドクターに凄惨な現場でも全く動じない肝の据わったベテラン看護師でした。かなり偏見が入っていますが・・・

 私自身が歳をとったこともあります。会社において地位が上がるにつれて教わることも指示されることも減っていきます。ましてや若いメンバーからは皆無になります。むしろ立場上、彼らが言うことを確かめる(疑われてると思われているでしょう)ことすらあり、場合によっては間違いを正します。

 病院ではそうはいきません。若かろうが頼りなさげに見えうが信頼して身を預けるしかありません。しかし若いみなさんはとてもプロフェッショナルでした。加えて、私が入ったおじさん4人部屋のどの患者とも彼ら彼女らなりに敬意をもって接する姿はとても素晴らしく感心しました。気を遣ってもらって申し訳ないという感情も湧きました。

 会社勤めでは気付き難かったのですが今回の入院を通じて若い世代がしっかりと社会を背負いつつあるのだと実感しました。頼もしいです。私自身は次の世代に繋ぎ託していく世代に入ってきていると思います。若い世代と協調しながら自分世代の役割をしっかり果たしていけるようなキャリアを作っていきたいと思います。

入院

 先日、虫垂炎を患い入院することになりました。数日前から熱があったりお腹に痛みがあっりしたのでクリニックで診てもらいましたが原因がわからず、総合病院にかかったことろ虫垂炎と診断され即日入院となり5泊6日を過ごすことになりました。体の丈夫さには少なからず自信があったので「まさか」の思いでした。

 社会人になってから初めての入院です。金曜日でした。その日の午後にも訪問予定の会社があったのですぐに連絡し、病室に入ってからは次週訪問予定のお客様に順番に連絡しながら日程変更の調整を始めました。現在は個人事業主としてコンサルティングをしているので日程調整には柔軟性があり、お客様のご厚意もあってスムースに対応することができました。

 入院中、これがサラリーマン時代におきたらどうだっただろうと考えました。スケジュールびっちりの中、突然何日も休むこと自体がストレスになったのではないかと思いました。特に部門長を務めているような時だと相当に。私自身の責任感や部門長像に偏りがあるのも一因と思いますが、少なからずそう思う方もおられるのではないでしょうか。今回は計6日でしたが半月、数カ月となると「会社や部下に大変迷惑かけた」「部門長は続けられない」と自身を責めてしまうかも知れません。

 これまで同僚や部下が病欠することはありました。純粋な気持ちで「まずはしっかり治しましょう」と声掛けていましたが、当人はとても深刻に悩んでいて声掛けも負担になっていたのかも知れないと思いました。改めて『寄り添う』ことの大切さと難しさを感じます。私が思うようなストレスを持つ方やそんな雰囲気の会社は少ないと願いたいですね。

 

キャリア形成

 ここ数年になって「キャリア」という言葉を聞くようになり、私自身も使うようになりました。少し澄ました響きがあり、使った後にインテリぶったように捉えられることがあります。厚生労働省HPでは「キャリア」について「過去から将来の長期にわたる職務経験やこれに伴う計画的な能力開発の連鎖」と紹介されています。人生100年時代を迎え、定年延長や年金支給年齢引き上げを推進するためにも職業人としての充実を強く勧めているのでしょう。

 「キャリア形成」とは能動的にキャリアを作ることを意味しますが、私が就職した頃にはこのような発想はありませんでした。それでも30年のサラリーマン生活を振り返るとそれなりのキャリアが形成されており現在のコンサルティング業に強く繋がっています。私自身は何も考えずひたすら目の前の仕事に取り組んでいたことしか思い出せませんが、人と機会に恵まれたおかげだと思います。一方、もっと早く「キャリア形成」の意義を知り、自身やメンバーの育成に取り込められたら良かったのにとも思います。

 この30年で職場環境は大きく変わりました。それでも価値観はそれほど大きく変わらなかったように思います。それは私がキャリア形成できた一因にもなったと思います。しかし現在はどうでしょうか。職場環境はこれまでよりはるかに速いスピードで変化し、価値観すらも変化しているように思います。先輩から受け継いできたものが有効ではなくなる不安もあります。リカレント教育やリスキリングといった言葉をよく聞くのもその表れではないでしょうか。メンバーの育成を振り返ると「あれでよかったのか」と内省し、罪悪感を感じることすらあります。

 昨年対人支援の国家資格の受験に失敗した話を書きました。仲間の助けもあって今年なんとか合格することができました。資格所得を機にやり残した仕事としてキャリア形成支援をしていきたいと考えています。一緒にやってきたメンバーや同じような境遇の方々が激動の時代においてもイキイキと働き続けられる一助となればとの思いです。

心理的安全性

 『心理的安全性(psychological safety)』とは組織行動学を研究するエイミー・エドモンドソン教授が1999年に概念を提唱し、「対人関係上のリスクをとったとしても安心できるというチームメンバーとの共通の信念」と定義しました。言い換えると「メンバーが自分の発言を恥かしめられたり、拒絶されたり、罰を与えられるようなことがないと確信をもてる状態であり、チームは対人関係上安全な場所だとメンバー 間で共有された状態」と言えます。米グーグルが生産性の高い働き方について調べた結果から「心理的安全性がチームの生産性を高める重要な要素である」と結論付けたことから昨今注目されるようになりました。

 私はサラリーマン生活を通じて数人から300人まで大小様々な組織を運営してきました。組織の大小にかかわらず、組織やメンバーが成長し目標に向かって能力を最大限に発揮するにはどうすればよいか常に考えていました。「一丸となって・・」「チームワークで・・」「互いに助け合って・・」と言ってみたり、「失敗を恐れずに・・」「個の力を高め、発揮して・・」「思い切って・・」と鼓舞したり様々な言葉を使ってきました。私の思いが定まっていなかったのかも知れません。幸いメンバーの高い能力に恵まれ一定の成果をあげられましたが、内心ではもっとシンプルな言葉で組織の在り方を表現し、組織づくりの根本としたいと思っていました。

 そんな折、『心理的安全性』に出会い、「そう、その感じ!」と感心しました。この言葉には「組織の目標達成に向けて」「互いをリスペクトし」「能力を最大限発揮し」「成長する」等々が全て含まれているように感じます。また『仲良しこよし』組織という感じもなく健全な組織がイメージされました。『心理的安全性』はメンバーに直接かける言葉ではありませんが、この言葉にもっと早く出会えたら、もっと良い組織運営ができたと思います。またメンバーの立場としてもっと大きな成果が出せたように思います。私にとって不思議な力を持つ言葉です。