耕不尽

 このブログの名前です。『耕不尽』という言葉そのものは固定ページの方で説明しているのでご参照ください。ブログ名にするくらいなので管理人の私が強い経験の中から得られたものだと思われるかも知れません。しかしこれは全く突然に私の中に入ってきたものなのです。

 私は社会人2年目に結婚しました。90年代前半のことです。当時の典型的な結婚式で仲人は会社の上司、参列者は双方から40人位、場所はホテルでした。仲人・主賓の挨拶、乾杯、お色直し・キャンドルサービス・ケーキカットと続き、友人からのメッセージ・余興を終えいよいよ締めとなる新郎新婦・両家代表の挨拶となりました。私は未熟であったので定型の極めてシンプルなものが精一杯でしたが父は違っていました。もともとスピーチ好きなのでしょう、言葉使いは感謝でいっぱいでしたが、いよいよワシの出番とばかりに練りに練った挨拶を展開しました。この中に『耕不尽』が出てくるのです。

 若い二人をどうぞ見守っていただきたいというくだりで「我が家の床の間に『耕不尽』とありまして若い二人にも・・・」と出てきました。私は『???』です。20年近く暮らした家の中にそんなものが掛かっていたのを全く知りませんでした。後に実家に帰り確認すると確かにそれはありました。色紙のようなものに書かれ額に入っていました。達筆でまた『尽』も旧字体の『盡』でしたので読めずに気に留めなかったのだと思います。

 私は少々ずぼらなところがあると自覚しているので、その戒めとして座右の銘のようなものを尋ねられた時は『継続は力なり』のようにコツコツ努力を続けるような名言を返していました。しかし実はこんなに近くに『継続して努力し、そしてそれは尽きることがない』という言葉があったのです。遅ればせながらも気付きから四半世紀が過ぎました。これからも大切にして、人生を振り返った時に「あの言葉は自分を支えてくれたな」と思えると嬉しいです。

ほうれんそう

 会社生活でよく聞かれる『ほうれんそう』、もちろん野菜のことではなく『報告』『連絡』『相談』初めの一文字ずつ取って作られた造語です。特に上司とのコミュニケーションに有効な方法として用いられてきました。起源を辿ると1982年に作られ発明者もはっきりしているようです。最近ではかなり古い言葉になりつつあり、あまり真剣なシーンでは使われていないかも知れません。さて、この『ほうれんそう』ですがみなさんはどのように感じているでしょうか?

 部下の立場では自身の業務進捗や成果を正しく理解してもらえタイムリーに指導や助言をもらえるメリットがあります。もっと進んで自信をアピールする絶好の機会と考えてる人もいます。一方、「資料や時間調整がめんどくさい」「そんな時間があるなら仕事をしたい」と思うこともあるでしょう。中にはコミュニケーションそのものがとても苦手で強いストレスを感じている人もいます。

 上司の立場では部下の業務進捗をダイジェストで入手でき、方向修正が必要な場合にもロスが少なくて済むメリットがあります。また偏りなく部下との時間が持てることはとても貴重です。美しくまとめられ、凝ったアニメーションや動画・ウェブサイトにピョンピョン飛ぶPowerPointがお気に入りな上司もいれば、真っ先に端的な結論を求める人もいるでしょう。ここぞとばかりに高圧的になりパワハラを犯してしまう場合もあります。

 本来双方にとってメリットがあるのですがデメリットを敏感に捉えがちで徐々に苦痛に感じる傾向にあるのではないでしょうか。また完全に意気投合してしまっては何か見落としがあるかも知れません。私の場合、若い頃は面倒くさいと考えることが多かったです。それでも必要性は感じていたので、ありもの資料を活用しタイムリーであることを心掛けて行っていました。向き合い方によってはもっと成長できたようにも思います。報告を受ける側になるとさらにメリットとデメリットがはっきりわかるようになってきました。お互いの成長のためと思って是非上手に使っていきたいものです。

テレワーク

 コロナ禍のおかげですっかりメジャーな言葉になりました。コロナが収まってもツールや使い方の進化は止まらず、むしろ加速していくのではないでしょうか。

 5年ほど前にアメリカに赴任していたことがあります。現地法人を運営する立場でした。国土が広く、ITも発達していて、何より合理的な社会ということもあってリモートが身近にありました。また自分のデスクや会社以外で仕事をする光景もよく見ました。

 初めは何事にも自由を求めているのかと思っていましたが、これらを活用する人達はほぼ生産性を上けていることに気づきました。アウトプットを増やす人もいれば新しいアイデアを創造する人もいました。より快適な環境を求める声も多くあり、就職条件のひとつとして考えられていたようです。当時会社の課題であった高い離職率を低減させるために環境整備に取り組んだこともあります。

 日本に帰任してもテレワークやリモートワークの推進をしましたがなかなか浸透しませんでした。どうもサボっているとみられるようです。しかしコロナのおかげで一躍ノーマルな働き方となってしまいました。浸透しない土壌でしたので、まだまだ無駄も多く、サボっている人もいるでしょう。しかし、これを機に生産性を上げる人が生まれ、会社も当たり前にそれを期待するようになると思います。

 働く環境を使いこなすことが専門性あるスキルを持つことより優先されるようになるかも知れません。

仕事

 仕事とは?と問われると一瞬回答に困ったりしますが、気に入った例えがあります。それは『仕事とは穴を埋めるようなものだ』です。いつ、どこで見聞きしたのか覚えていませんが気持ち良く心に残っています。

 穴というのは道に開いた穴を想像しました。穴には大きなものや小さいもの、深いもの浅いもの、まん丸いものいびつなもの、いろいろあります。人はそれぞれ個性や能力に違いがあり、それぞれが能力を発揮して自分に見合った穴を埋める。力のある人は大きな穴を、特技のある人はいびつな穴を埋められるでしょう。時には何人か協力してとても大きな穴を埋めることもあるでしょう。その結果、みんなが安全に使える道が維持されます。会社や社会へのアウトプットとして繋がりが感じられます。

 自分に見合った穴に巡り合えるかどうかの心配はありますが、このように仕事を捉えると「これは自分が埋めるべき穴だ、頑張ろう」と思えてきます。若い頃は与えられる仕事が多く、自分の穴だと信じ込んで取り組んでいたように思います。上司に恵まれたのか、緊張感のあるチャレンジを経てやり切れることが多く、心地良い達成感がありました。

 少しずつ小さくなっても穴を埋め続けていたいと思います。

働く

 『働く』を検索するとおよそ7つの意味があるようです。

1 仕事をする・労働する、2 機能する・作用して結果が現れる、3 精神などが活動する、4 悪事をする、5 文法で用言や助動詞の語尾が変化する・活用する、6 動く・体を動かす、7 出撃して戦う

 1はまさに職業として、あるいは生計を維持するために一定の職に就くことで最もポピュラーな意味ではないでしょうか。私自身も1の意味でこれまで働いてきました。明確に定義していたわけではありませんが生計を維持し、家族を守ることが第一にあったように思います。どちらかというと自分のために働いていました。

 しかしながら50歳を過ぎたころから2の意味の『働く』を意識し始めたように感じています。またそれは漠然とですが3の意味の『働く』が機能したせいなのでしょう。自身の環境変化に伴い、これまでとは違う価値観で『働く』ことを捉え、誰かのためにという思いがあるようです。

 新しい『働く』を始めるにあたり、過去を振り返り・現在を見つめ・未来を考えたいと思います。