お小遣い

 私には毎月決まった金額を親からもらう『お小遣い』の記憶がありません。姉や妹がどうしていたかわかりませんが、それくらい興味がないものでした。何事もなく親からお金をもらうことに違和感や申し訳無さを感じていたのかも知れません。必要なものは揃えてもらっていましたし習い事やリトルリーグにも通わせてもらっていたので、それ以上のことには後ろめたさがあったのかも知れません。

 しかしながらお金をもらう機会がなかったわけではありません。家業の果物店を手伝った時にお駄賃としてもらうことがありました。当時の店先にはザルやボウルが天井からぶら下がっており売上や釣銭が入っていました。店仕舞いでそれらを店奥に引き上げ父に預けた際、たまにそこから数百円くれるのです。その中に新しく発行された500円玉が混じることがあり、珍しさを喜んだことを覚えています。稀に千円札をくれました。

 2~3時間の手伝いに対してなので決してアルバイト代並ではありません。家業なのでアルバイトとも思っていませんでした。それでもよく手伝っていたので買い食いや漫画を買うには十分でした。お金をもらうようになったのは中学に入った頃からだったように思います。今思えば万引きをしないようにと親が考えていたのかも知れません。全国的にみても中学生の非行が多い地域であったし、万引き現場を見たり捕まった友人の話を聞くこともありました。一言で『そんな時代』でもありました。

 家業手伝いが労働といえるかや金額の大小はともかく、仕事をしてこそお金をもらうという感覚が身についたのは私にとっては良かったと思います。おかげで大きなトラブルに巻き込まれなかったのかも知れません。お小遣いを通して非行防止や仕事の価値観を親が伝えようとしていたならアッパレです。感謝しかありません。

ほうれんそう

 会社生活でよく聞かれる『ほうれんそう』、もちろん野菜のことではなく『報告』『連絡』『相談』初めの一文字ずつ取って作られた造語です。特に上司とのコミュニケーションに有効な方法として用いられてきました。起源を辿ると1982年に作られ発明者もはっきりしているようです。最近ではかなり古い言葉になりつつあり、あまり真剣なシーンでは使われていないかも知れません。さて、この『ほうれんそう』ですがみなさんはどのように感じているでしょうか?

 部下の立場では自身の業務進捗や成果を正しく理解してもらえタイムリーに指導や助言をもらえるメリットがあります。もっと進んで自信をアピールする絶好の機会と考えてる人もいます。一方、「資料や時間調整がめんどくさい」「そんな時間があるなら仕事をしたい」と思うこともあるでしょう。中にはコミュニケーションそのものがとても苦手で強いストレスを感じている人もいます。

 上司の立場では部下の業務進捗をダイジェストで入手でき、方向修正が必要な場合にもロスが少なくて済むメリットがあります。また偏りなく部下との時間が持てることはとても貴重です。美しくまとめられ、凝ったアニメーションや動画・ウェブサイトにピョンピョン飛ぶPowerPointがお気に入りな上司もいれば、真っ先に端的な結論を求める人もいるでしょう。ここぞとばかりに高圧的になりパワハラを犯してしまう場合もあります。

 本来双方にとってメリットがあるのですがデメリットを敏感に捉えがちで徐々に苦痛に感じる傾向にあるのではないでしょうか。また完全に意気投合してしまっては何か見落としがあるかも知れません。私の場合、若い頃は面倒くさいと考えることが多かったです。それでも必要性は感じていたので、ありもの資料を活用しタイムリーであることを心掛けて行っていました。向き合い方によってはもっと成長できたようにも思います。報告を受ける側になるとさらにメリットとデメリットがはっきりわかるようになってきました。お互いの成長のためと思って是非上手に使っていきたいものです。

家業

 私の父はちょうど私が生まれた頃に脱サラ(サラリーマンを辞めて自ら事業を始めること)し、果物屋を始めました。30店舗ほどからなる公認市場の一区画でシャッター3枚くらいの店幅だったと思います。それから約20年、私が大学生の時期まで続けましたので私はほぼ『果物屋の倅(せがれ)』として育ちました。

 3人姉弟の一人息子だったこともあり小学6年時にリトルリーグを卒団した時から店を手伝うようになりました。店と自宅は別々の町にありました。夕方から店に向かい、配達や店仕舞いをするのが私の役目でした。お盆や年末の繁忙期には終日手伝うことも多かったです。今思うと青春期の一部を失ったようにも思いますが、当時はそれが当たり前と思っていましたし子供ながらに家の事情や両親の苦労を感じていたのかも知れません。

 店があったのは高度経済成長期に建てられた何十棟もの団地や社宅、アパート(文化住宅と呼ばれていました)に囲まれた地域であり、その周りにぽつぽつと地主さんの屋敷と敷地20坪ほどの建売住宅がありました。これらの住人がお客さんであり実に多様な人と暮らしがありました。善い人もいれば悪い人もいましたし、人情もあれば騙し騙されもありました。裕福や貧困も入り乱れ子供には刺激の強い環境でした。

 印象に残る作業のひとつに掃除があります。市場には魚屋・八百屋・パン屋・電器屋いろんな店がありましたがどの店も一日の終わりにはきれいに掃除を行い、ゴミが落ちていることはありませんでした。店仕舞いを手伝う私も毎日店の前を掃いていました。やはり基本なんでしょう。私は今でも掃除や整理整頓をするとひと仕事終えた気がします。

 私は家業の手伝いによって青春期の一部を失ったかも知れません。しかし、これらの体験を通して生きていくために有益な知恵や知識が得られ、少なからず間違いを減らし助かってきたような気がしています。