36年前の今日、日本航空123便墜落事故が起きました。私は家業の果物屋の手伝いと強く結びついて記憶しています。事故を知ったのは果物の配達をした帰りでした。商店街の入り口に電器屋があり、店頭のテレビで速報が流れていました。御巣鷹の尾根に墜落したのが18時56分30秒とのことですので19時過ぎてもまだ配達していたということです。お盆前の繁忙期なので朝から手伝っていましたが、日が暮れてもまだ数件の配達が残っていました。その後も電器屋前を通る度に更新される映像に足を止めていました。
私は初め事故の重大さにあまりピンときていませんでした。未熟だったのでしょう。店に戻って母に「飛行機が落ちたらしいよ」と軽く伝えると、母は血相変えて電器屋に飛んでいきました。この時の母の反応を本当によく覚えています。野次馬のような感じではなく、家族が乗っていると言わんばかりの勢いでした。123便の行き先が最寄りの伊丹空港だったことも明らかになり電器屋のテレビの前にはどんどん人が増えていきました。
時が経って社会人になりようやく当時の母の反応が理解できるようになりました。全国放送で取り上げられるような事故や災害は何かしら関わりがあります。関りが身内や知り合いの場合もあれば自社や取引先の場合もあります。正しく情報を得て適切な対応が必要となります。実際に多くの事故や災害を経験し、それらは社会で共有して助け合わなければいけないと思うようになりました。
社会人になって以降、大きな地震や災害がありました。最近は異常気象による災害が増えているようです。海外ではテロや暴動もありました。新型コロナウィルスまん延ももはや災害です。8月12日を迎える度に母の反応が思い出され、事故や災害に正しく向き合うよう再認識させられます。