ジョブ型雇用

 最近よく目にするワードです。業務内容を定義して雇用するスタイルで専門性を求められることが多いようです。ジョブ型雇用と対比して使われるのがメンバーシップ型雇用となります。私は典型的なメンバーシップ型雇用のもとで28年間の会社生活を過ごしてきました。そして昨年外資系企業にジョブ型雇用として転職しました。

 採用選考の過程において提示されるオファーレターには業務内容がしっかり書かれており、入社後も合意なしに変更されることは原則ありません。またオファーレターにある労働条件や処遇についても勝手に変更されることは原則ありません。良くも悪くも「やることやっていればお金がもらえる」わけです。

 欧州に本社を持つグローバルカンパニーであり、日本現地法人でありながらも日常的に海外数か国・国内数拠点と仕事をしているのでウェブミーティングをしても参加者の居場所はほとんど別々です。また社内はグローバルで統一されたシステム・規定で運営されているため、企業活動はまさに個々のジョブの集合体といったイメージになっています。

 とても合理的で会社も「やることさえやってくれればいい」と言っているように感じます。意欲的に働きたい人にもそうでない人にも納得感のある働き方のように感じます。日本ではこれまで馴染みがなかっただけで、コロナ禍もひとつのきっかけとなって今後加速して拡がっていくのではないかと思います。

初めての仕事

 初めての仕事が何であったか思い返してみました。ここでは対価としてお金をいただいた仕事とします。それは小学校の高学年の時でした。アルバイトというカテゴリーだと思います。

 それは野球のスコアをつける仕事でした。当時私はリトルリーグに加入しており、チームの役員からある大会のスコアラーの依頼を受けました。スコアブックに記録を取りながらスコアボードの操作、ヒット・エラー・フィールダースチョイスの判定もしました。賃金は1試合500円だったように覚えています。その日は4試合あり2,000円と交通費に加え、昼食のお弁当とお茶をいただきました。また連盟の刺繍が入ったシャツもいただき優越感を得た記憶があります。

 場所は大阪城公園内の野球場でした。私鉄と国鉄を乗り継いで行きました。昭和55年5月5日のことであり、切符には5555と印字されていました。それが嬉しく降車駅の駅員さんにお願いして切符を回収されずにいただいたことは何より覚えています。

 思い出となる初めての仕事でしたが小学生にとって大金であった2,000円をどう使ったのかは全く覚えていません。切符がその後どうなったかも記憶にありません。それよりも一人で電車で出かけ、連盟のユニフォームを着て、公式にプレーを判定し、記録を残すというという状況や行為そのものに満足感や達成感を抱き記憶に残されているように思います。

 就職してからもこの記憶と同じような感覚になる時があります。通勤・制服・責任ある仕事に置き換えられるということでしょうか。対価としての給与があるために労働しているのですが、実は活動全体に惹かれているのかも知れません。こういうことを働き甲斐というのでしょうかね。

テレワーク

 コロナ禍のおかげですっかりメジャーな言葉になりました。コロナが収まってもツールや使い方の進化は止まらず、むしろ加速していくのではないでしょうか。

 5年ほど前にアメリカに赴任していたことがあります。現地法人を運営する立場でした。国土が広く、ITも発達していて、何より合理的な社会ということもあってリモートが身近にありました。また自分のデスクや会社以外で仕事をする光景もよく見ました。

 初めは何事にも自由を求めているのかと思っていましたが、これらを活用する人達はほぼ生産性を上けていることに気づきました。アウトプットを増やす人もいれば新しいアイデアを創造する人もいました。より快適な環境を求める声も多くあり、就職条件のひとつとして考えられていたようです。当時会社の課題であった高い離職率を低減させるために環境整備に取り組んだこともあります。

 日本に帰任してもテレワークやリモートワークの推進をしましたがなかなか浸透しませんでした。どうもサボっているとみられるようです。しかしコロナのおかげで一躍ノーマルな働き方となってしまいました。浸透しない土壌でしたので、まだまだ無駄も多く、サボっている人もいるでしょう。しかし、これを機に生産性を上げる人が生まれ、会社も当たり前にそれを期待するようになると思います。

 働く環境を使いこなすことが専門性あるスキルを持つことより優先されるようになるかも知れません。

就活

 ちょうど30年前の今頃、工学部の4年生だった私は就職活動を始めていました。バブル経済崩壊後ではありましたがまだ名残があり、特に理系の学生とっては強い売り手市場が続いていました。活動といっても学科には学生数の何倍もの求人が届いており、学生達はその社名リストから希望の会社を選ぶのが一般的でした。リストには多くの有名企業が並び、工学系ではない会社もたくさんありました。会社を選択すると後に面接の案内があり、学校推薦として面接を受けて採用というプロセスでした。

 今のようなエントリーシートはもちろんなく、インターンシップもありませんでした。私の場合、技術面接と人事面接の2度の面接だけのシンプルなプロセスでした。私は面接に向けてたいした準備もせず当日もグズグズ、それでも合格しました。たぶん『出席=合格』ほどの売り手市場だったのだと思います。私は経験しませんでしたが学生を他社に奪われないように拘束旅行を催す会社もあるほどでした。今とは全く異なる状況です。

 就活という切り口だけで考えた時、このような就活環境を経て入社した人達と昨今の激烈なセレクションを勝ち抜いてきた人達が同じモチベーションで同じゴールを目指せるのか考えることがあります。能力の優劣という話ではなく何かギャップを感じます。会社内ではよく一丸となるべくスローガンが発せられますが、そもそも土台となる会社や仕事に対するメンタリティが極めて異なる気がします。

 就活は受験のように当事者でない時代のことはよく理解されていないように感じます。少し気にしてみるとそのぶんだけ理解し合えるのではないでしょうか。