初受注

 昨年9月に個人事業としてコンサルティングを始めました。年内は開業の挨拶や専門家登録などを中心に、受注1件を目標としていました。12月になって全く予期していなかったとこから「少しお願いしたい」と声がかかりました。依頼内容は事業内容にも載せていなかったのですがお悩みを聞いてみると私が経験して十分な知見のあることだったのでお引き受けすることになり初受注となりました。

 昨年内の初受注は半ば願望のようなものでしたが現実となり嬉しさと驚きで気持ちがいっぱいになりました。本当にラッキーな形の受注であり、ご縁の不思議をつくづく実感しました。また自覚していなかったお役に立つものが発見できたのも幸運でした。今月には費用を振り込んでいただき真っ新の事業用口座に記念すべき初売上が刻まれました。

 そして初受注にも増して嬉しかったのがお客さんからの感謝の言葉でした。大変困った状況だったようで「いい方に巡り合えて本当によかった」と言ってくれました。心から発せられていることが伝わり、とても胸に響きまた新鮮でした。誰かのお手伝いをしようとコンサルティングを起業しましたが『やりがい』として求めていたものはこれだったのかと思い知らされた言葉でした。

 嬉しい反面、会社生活においてお客さんに感謝されるような努力を続けていたか?周りの人に正しく感謝を伝えていたか?と振り返る機会になりました。社会に出た時には『世のため、人のため、成長のため』と意気込んでいたと思うのですが、長い会社生活の中で忘れてしまっていたものがたくさんあったように思います。今回の感動を忘れずに一日も長く、一企業でも一人でも多く支援できるよう頑張りたいと思います。

45歳定年制

 昨年9月にサントリーホールディングスの新浪剛史社長が提言した『45歳定年制』がメディアに取り上げられ、関心の高いワードしてSNSも湧かせました。私の周りでもいろんな意見が聞かれました。50歳を過ぎて初めての転職をし、後に起業して現在53歳の私がこのニュースを聞いた時「そんな制度があったらもっと悩まずにキャリアチェンジができたのにな」という感情がありました。もちろん会社や家庭の複雑な事情を全てないものとした場合です。また新卒から同じ会社で勤め上げてた場合です。

 私は製造業でエンジニアをしていましたが20年もやれば節目の様なものが見えてきます。よほどの精進をしていなければ第一線では使えなくなりますし、マネージメントらしきものが職務に加わってくると技術は衰えていくばかりでとても世界と戦うような鋭さが保てるとは思えませんでした。技術の成長は人の成長よりはるかに速いように感じていました。

 マネージメントも似たようなものでした。意識しないようにしていても成功体験が判断基準になりがちです。上司もそれを期待して役職に任命したり指示をするので必然です。つまりその瞬間だけに有効な人事にしてしまっていたように思います。また厄介なことに技術のケースと違って優劣がはっきりしません。システムや運営の仕方が遅れてたり育成の方向を間違えていてもすぐには気が付かないのではないでしょうか。ましてや挽回のアクションなど起こりようがありません。マネージャーはエンジニア以上に旬が短いように感じます。

 このように感じていた私は昨今の変革期にあたって少しでも若い世代に早くバトンを渡したいと思っていて自身のセカンドキャリアを考えるようになりました。しかしながら同じように考える人ばかりではなく理解すらされないことも多く次に進むのにたいへんなエネルギーを費やしました。「45歳定年制さえあれば・・・」です。

 しかし解決し難い問題が多いのも理解します。終身雇用を前提とした報酬のもらい方もそうですし、定年後の働き方についての理解や人材マーケットも未熟のように感じます。45歳以上に期待するものが何もないとは全く思っていません。衰える能力も多くありますが、複雑でめんどくさくて感情が入り乱れたりするような問題を理屈抜きに解いてしまう能力があったりします。上手な制度設計や動機付けで次世代がより明るくなるのではと期待しています。

家業3

 小学生6年生からおよそ10年家業である果物屋を手伝いました。早いうちから大人の社会に触れる機会があり、いろんなことを感じることができました。今回は汚い大人につてい書きたいと思います。

 店番をしているとき50才くらいのおじさんが店先で商品のリンゴを品定めをしていました。当時はラップなどの包装はなくザルに4~5個盛って陳列していました。何気なくおじさんを見ていると時々ポロポロとリンゴを落としてはザルに戻していました。よく見ていると戻す際に他のザルのリンゴと入れ替えているのに気が付きました。何度か繰り返し自分の気に入ったリンゴをひとザルにまとめたらおじさんは涼しい顔して父にそれを渡しました。会計の最中おじさんと私は目が合いました。ずっと見ていたことに気付いたのでしょう、おじさんはニタ~と笑いました。その卑しい笑いはしばらく忘れられませんでした。

 別のお客さんのお宅に配達をした時のことです。これはもう少し年配のおじいさんでした。配達時に代金をもらうことになっており品物を渡してお金を受け取りました。しかし確認すると僅かに足りません。詳しい金額は覚えていませんが代金820円に対して800円しかもらわなかったイメージです。子供ながらに僅かという感覚でした。私は足りないと指摘しましたが「端数はまけとけと親父に言っとけ」との言葉と共にドアを閉められてしまいました。20円はサービスせよということです。その時は普段からこういう関係なのかなと思い、変に納得して店に戻りました。しかしそうではありませんでした。父にそのことを話すととても険しい顔で舌打ちし何か汚い言葉を発したように覚えています。それ以上に、見たことのない父の反応に驚いた記憶があります。私はそこで初めて自身が小僧だとなめられて追っ払われたことに気付きました。

 こんな話も今となって理解ができます。経営的にはリスクと呼んだりするのかも知れません。ビジネスにおいては騙された方が負け、押し切られた方が負けということです。きっと父もいろんなリスクは織り込み済みで店を営んでいたのだと思います。もちろんこれはビジネスの一側面でしかありませんが、私はこれらの経験から『結果は全て自分の責任』という感覚を身に付けたように思います。言い換えて『自分の力で望む結果が得られる』とポジティブ思考を持てたのはありがたい実体験でした。