働く2

 初めての投稿となった『働く』の続編となります。『働く』では辞書に出てくる意味を紹介しました。そして2度目の投稿の『仕事』では「仕事とは?」の回答として私が気に入っている『仕事とは穴を埋めるようなものだ』を紹介しました。今回は最近『働くことの本質』について感銘を受けた話を紹介したいと思います。

 キャリアコンサルティングのある研修において指導的キャリアコンサルタントの方からある介護施設の面談者(Aさん)のお話を伺いました。Aさんはその介護施設の元社員で、現在は嘱託という立場で同じ施設の清掃のお仕事をされています。日頃、清掃をしていると従業員の方々が「Aさん、いつもありがとう」「ご苦労様です」と声をかけてくれるそうです。そのことにAさんはとても感激したそうです。ご自身が従業員で働いていた時はそんな声掛けをした記憶がなかったと。そしてAさんはキャリアコンサルタントにこう言ったそうです。

「働くことの本質は、傍(はた)を楽(らく)にさせることだね」

 紹介いただいたキャリアコンサルタントはとても感動したそうです。私も感動と共に「そうですよね!」と強く応えたい気持ちになりました。こんな思いを持つAさんですので社員時代も声掛けしなかったのではなく、周りを見る余裕もなく必死に頑張ってこられたのだと思います。定年を過ぎて同じ職場でなお新しい気付きを得るAさんを素晴らしく思います。

 私の仕事への表現とは全く雰囲気が異なりますが「誰かのために」との思いが一致したようで晴れやかで清々しい気持ちになりました。大袈裟かも知れませんが、本サイトの副題として~はたらくということ~がひらがなであったことは運命的な巡り合わせにも思います。お気に入りがまたひとつ増えました。「傍を楽にさせる」思いを持ち続け、生涯、働けるところまで働きたいと思います。

どうする

 NHK大河ドラマ『どうする家康』が面白くなってきました。私の住む三河地方では岡崎城横に大河ドラマ館ができたり、ドラマゆかりの有名人がやってきたり、各種イベントで賑わっています。その中でもタイトルの『どうする』がいろんなところで使われていて、ご当地グルメや観光キャンペーン、果ては献血会場でも『どうする』でした。

 ドラマの中では松本潤さん演じる徳川家康が窮地の場面で家臣から「殿、いかがなされます」「殿!」「殿ッ!!」と詰められるシーンが多く、権限ある人に判断が求められています。『どうする』の後に『?』はなく、発音でも語尾は上がりません。さしずめ「さてどうする・・」といったところではないでしょうか?

 一方で『?』が付き語尾を上げて、煽られたり問い詰めたりするように使われることも多いようです。職場で上司から部下に投げかけられる言葉に使われるケースもあるようで、知人の会社では乱用されているとも。その知人は「いや、どうするじゃなくて決めてほしいんだけどなぁ・・」とボヤいていました。ドラマと対比させると便乗した誤用のように感じます。

 しかしながら自分自身に問いかけてみるとなかなか役に立ちます。たった4文字ですが自身を振り返り、どう在りたいか、今何をすべきかを冷静に考える機会になる言葉です。私自身は起業2年目であり将来に向けて形づくりの過程にあります。いろんな視点を使い分けて考えなければなりません。『どうする』のおかげで足元の仕事に奔走しながらも内省の機会を得て自己概念の成長に繋がっていると思います。大河ドラマは偉大ですね。

製造業とキャリアコンサルティング2

 先回の投稿に続いて、どうすれば製造業でキャリアコンサルティングが普及するか考えてみました。浮かんできたキーワードは『生産性向上』です。製造業ではマニュアルや作業手順などをしっかり整え、またそれに自動化や継続的な改善を加えていきます。最近ではDXの導入も盛んなようです。大きな目的のひとつは『生産性向上』です。製造業において『生産性向上』は避けて通れず、意思決定の基準となることもしばしばあります。また確実性や具体的な効果を強く求める傾向にあり、キャリアコンサルティングの効果は製造業にとってまだ不十分とされているように感じます。

 一方、私が抱くキャリアコンサルティング提供側のイメージは『生産性向上』から遠いところにいます。私自身の偏見であり、キャリアコンサルタントとして未熟なことは承知していますが、このイメージはなかなか払拭されません。キャリアコンサルティングの対象を厳しい労働環境とされる業界や就労の機会に窮する女性、ミドルシニア、学生などとし、そのような方々に寄り添って励ますツールとして用いられるケースが多いように感じます。『生産性向上』は持ち出すと相談者にビジネスライクと取られてしまう恐れがあり敬遠されているのかも知れません。実際、キャリアコンサルティングの研修や勉強会でも『生産性向上』の議論はあまり盛り上がりません。

 厚生労働省のウェブサイトには『「キャリアコンサルティング」とは、労働者の職業の選択、職業生活設計又は職業能力の開発及び向上に関する相談に応じ、助言及び指導を行うことをいいます。』とあります。これを読むと結果として『生産性向上』が期待でき、普及していかないのが不思議に感じます。製造業はもっと『生産性向上』に期待してみてもいいし、キャリアコンサルティング提供側も勇気をもって『生産性向上』を人や企業に訴えても良いのではないかと思います。

 幸い私は製造業を営む中小企業向けにビジネスコンサルティングをしています。この機会を生かして普及への課題や導入方法を探求し、小さな単位からキャリアコンサルティングの効果を積み上げていきたいと考えています。またもし製造業への普及が加速するようなムーブメントが起きれば、喜んでお手伝いしたいと思います。働く人の能力向上や活性化は日本の製造業に残された最後の期待できるリソースではないかと考えています。

製造業とキャリアコンサルティング

 私が30年間携わった製造業はキャリアコンサルティングが普及していない産業とされています。厚生労働省による令和3年度「能力開発基本調査」の「キャリアコンサルティングを行うしくみがある事業所(産業別)」の調査でも正社員に対しては29.6%、正社員以外に対しては20.8%といずれも全産業で最低と示されています。

 製造業では多くの従業員がマニュアルや作業手順に従って「決められたことを、決められてた時間で、決められたように行う」ことが求められるため、キャリアについて考える必要がないのかも知れません。あるいは「キャリア形成=転職」という誤解や心配があり、人材確保の上でも持ち込まないようにされているのかも知れません。

 私はエンジニア、またそのマネージャーとして携わりました。会社が右肩上がりに成長を続けた二十数年間はキャリア形成など考えず、キャリアコンサルティングの存在も知りませんでした。しかしテクノロジーがとんでもない勢いで進化し産業構造や労働環境が激変している今となっては、ある専門領域のエンジニアが必要とされる期間はとても短くなり、生涯を通じての職業とするのは難しくなったように思います。エンジニア(に限らず)自身のキャリアについて真剣に考える時が来ているように思います。

 そんな思いもあり、セカンドキャリアにおいては製造業(特にエンジニア)におけるキャリア形成を支援できればと国家資格キャリアコンサルティングの資格を取得しました。現場を知りながら一人ひとりに寄り添えるコンサルティングを目指し、お世話になった製造業に恩返しができれば嬉しい限りです。

起業二年目

 2021年9月に起業し、2年目を過ごしています。1年目は思い通りにいかないことが多く、私自身の怪我や病気も重なって本当に大変でした。そんな中でも人と機会に恵まれ、ビジネスコンサルティングと社員研修のお仕事をいただくことができました。

 2年目に入ってから、1年目に支援したお客様から新規顧客を紹介されたり、今年度の再発注やさらに発展した内容の発注をいただいたりすることがでてきました。昨年の活動に大変満足していただいたようで、このような形で評価されたことは大変嬉しく思います。1年目は勢いやこれまでのお付き合いの中で営業することが多く、2年目からは営業力が試され苦労すると覚悟していましたが、またしても人と機会に恵まれた格好です。

 お仕事がいただけたことも嬉しいのですが、それ以上に嬉しいのは実績が積み上がっているという実感です。約30年前、社会人として歩み出した頃に得たような感覚です。ひとつずつ商品や仕事を覚えて目の前のことを必死に取り組んでいたら、少しずつ信頼され重要で大きな仕事を任されるようになりました。やりがいに溢れていた時期です。50歳を過ぎて始めたセカンドキャリアでも経験できたのは新鮮であり驚きでもあります。期待していただいてる方々を裏切らぬようしっかりと役割を果たしたいと思います。

 また2年目はもう1つの目標であるキャリアコンサルティングの活動を形作っていきたいと思っています。ビジネスコンサルティング、社員研修とあわせて事業の3本柱としています。シナジーを図ってより質の高い企業支援、対人支援を目指します。新しい出会いと繋がりにワクワクします。

研修講師

 昨年後半から社員研修の講師の仕事を始めました。機械系技術者への教育でテキストを使って解説をしたり、4~6名のグループに分かれて議論やワークをします。またリモートでの講義となる場合もありますが、この場合は100人程度を相手に話しっぱなしということもあります。サラリーマン時代には大勢(時には数百人)の前でスピーチやプレゼンテーションを行ったり、社内教育を行ったりすることはありましたが、研修講師はまた違った雰囲気があります。

 研修講師は知識や技術を教えるサービスを提供しますが、社員研修の場合、顧客はその研修を依頼した会社です。目の前にいる受講者は直接的な顧客ではなく、サービスの成果を確認する指標と言えるのかも知れません。したがって受講者に訴えかけたり寄り添ったりというよりも、いかに依頼者の意図する状態に受講者がなるかがテーマとなり準備や当日の振る舞いが検討されます。

 ビジネスライクで受講者に冷たい感じがしますね。講師によっては淡々とテキストをトレースしていく方もいますが、私の場合は自身が技術者だったこともあり経験を基に現場で起きるリアルな話(多くは失敗談)をしてしまうため脱線しがちです。もちろん依頼側には事前に十分そうなると伝えて許可をいただきます。経験を重ねながら依頼主、受講者共により高いレベルで満足いただけるよう講師スタイルを確立させていきたいと思います。

 講師を始めて良かったことがあります。それは研修を通して若い世代と係わることがとても刺激になることです。教える一方で彼ら彼女らの新鮮な考え方や発想に触れ感心することが多々あります。また新しいシステムやツールの勉強にもなり、私自身も成長しているように感じます。ただ経験や知識を押し付けるのではなく上手に取り込んで発展に繋げてもらう、そんな係わりができれば最高です。

『子ども』という役割

 先回『介護と仕事』というタイトルで投稿しました。これが呼び水となったのか父が倒れ、短期間ですが介抱することになりました。倒れた後すぐに駆け付けてくれた妹から様態と救急を要請する旨の連絡を受け、急いで自宅に戻り準備をして3時間ほどかかる実家に向かいました。長く患っている泌尿器系の不調が原因のようでした。私が着いた時には病院での処置を終え妹夫婦の介抱により帰宅していました。身体的なダメージもあることから今後についてケアマネージャーさんに支援いただきレスパイト入院の手配までされていました。

 入院までの数日間は介抱が必要でしたが、母は高齢で力も乏しく物忘れも進みつつあるので私が泊まり込んで対応することにしました。前年から会社勤めを辞め個人事業主となっていて仕事の融通が利かせられるのが幸いでした。しかし悪いことは重なるもので、ようやく入院の日を迎えたのですが入院のためのPCR検査で新型コロナウイルスの陽性反応が出てしまいました。療養期間中は入院することができず、さらに数日間の自宅待機が必要となりました。家族全員が相当落ち込みました。

 結果的に10日ほど両親と共に過ごすこととなりました。この間、両親は何度も感謝の言葉を口にしました。父は厳しく強い人でしたので力なく「悪いな・・」と言われると寂しさや切なさを感じました。母は私の妻にも電話していて感謝と共に「会社を辞める時、受け入れてくれて本当にありがとう」と何度も言ったそうです。もちろん親の介護のためにキャリアチェンジしたわけではありませんが、いつか人生を振り返った時に良かったと思う理由の一つになるかも知れません。

 18歳で家を出て以降これほど長い期間一緒に過ごしたことはありません。父の様態からすると自宅に戻ることはもうないかも知れません。そう思うと療養期間は神様が作ってくれた時間だったのかも知れません。キャリア研究の第一人者と言われるドナルド・E・スーパーは「キャリアは、人生のある年齢や場面のさまざまな役割の組み合わせである」と定義しました。この役割のひとつに『子ども』があります。50歳を過ぎ改めてその役割を実感することになりました。役割を果たせているかわかりませんが最後まで全うしたいと思います。

 最後に医師、看護師はじめ病院、保健所、地域包括支援センターの方々、ケアマネージャーさんに感謝を述べたいと思います。父のみならず家族にも寄り添っていただき、丁寧に懸命にご対応いただき誠にありがとうございました。

介護と仕事

 先日、前々職で一緒だった先輩の会社を訪ねました。この先輩とは年に数回ゴルフをするなど退職後も関係が続いています。独身ですが2世帯住宅を建てられご両親と暮らしています。お酒とタバコが大好きで曲がったことが大嫌いという感じで、私が新入社員の頃はいかつく怖い存在でした。後輩に対して厳しかったですが、それ以上に自分に厳しい方でした。

 訪問の調整をメールでやり取りするうちに今年15日の有給休暇を取得したと知りました。年齢を重ねても気力もスタミナもありバリバリ働く象徴のような先輩でしたので大変驚きました。お聞きするとご両親の介護のためで、お父様が要介護2、お母様が要介護1に加え、今年は骨折や病気が重なり本当に大変とのことでした。ご両親の意向もあり介護ヘルパーなどの外部支援は受けずお一人で対応されているようです。お会いした時には大変お疲れの様子で、「周りに助けてもらいながら・・」と力なく話す姿を見るといたたまれない気持ちになりました。

 知識として介護と仕事の両立が大変なことは理解していましたが、長きにわたってその人となりを知りながら両立のために変わらざるを得なくなった先輩の姿を目の当たりにすると知識とは違った重みの理解がありました。私自身も実家の両親が心配になる時期に来ているので尚更なのかも知れません。

 私は昨年コンサルティングで起業し企業と人の支援を始めました。カウンセリングにおいて『ロジャーズの理論』ではクライアントが変化を起こす条件として『受容』『共感』『一致』が示されています。支援者の悩みや困難がより深く理解できるよう知識と共に経験やコミュニケーションを積み重ねていきたいと思います。

家庭教師4

 大学時代にアルバイトで家庭教師をしていました。今回は最後となる4件目の家庭について書きたいと思います。県内トップクラスの公立進学校の高校3年男子でした。4月から12月までの9カ月の短い期間、理系の数学だけを教えました。一人っ子で親の期待は相当なもので教え子本人もそれを感じていたようでした。また進学校内で周りとの差に悩んでいたのか何か焦燥感や悲壮感のようなものが感じられました。

 進学校ということもあり基礎学力はある十分あるようでしたが点数や順位に繋がらないのか問題を解くテクニックを求めていました。したがって指導内容は問題の捉え方やパターンの見つけ方など短期間で点数に直結する内容が多かったです。

 知識や理解を深めたいという欲求に知的好奇心という言葉があります。テクニック習得にもまた好奇心が必要な気がします。この場合は新しい情報を幅広く求める拡散的知的好奇心があてはまるように思います。私が受験勉強をしていた時にも学習塾で習った解答が芸術的にみえて「かっこいい、ものにしたい!」といった感情がありました。たぶんこのおかげで習得が進んだのでしょう。勉強から離れた今でも数学の芸術的な一面に惹かれています。

 教え子にはそんなことを思う余裕はなかったようです。ひたすらにテクニックを暗記しようとしていました。食欲もないのに食べ物を無理やり詰め込もうとしているようで気の毒にも思いました。残念ながら当時は数学の魅力や美しさを伝える発想も時間もありませんでしたが、職業意識を持って振り返るとテクニックを身に付けたいと要求されたならまずその土台となる好奇心を引き出すことをすべきだったかな、と思います。少し悔いの残る家庭教師先となりました。

家庭教師3

 大学時代にアルバイトで家庭教師をしていました。今回は3件目の家庭について書きたいと思います。この家庭では1年程務めました。短大・大学までエスカレータ式に進学できる私立高校に通う女子高生でした。閑静な住宅街にあるお宅で、部屋には父親の趣味と思われるオーディオ機器とクラシックのレコードやCDがたくさんあり、とても上品に感じたお家でした。

 教え子の勉強意欲は1件目と同じく乏しく、学校からの帰宅が遅れ開始時間に間に合わないこともよくありました。指導中はつまらなさそうにしている一方、無駄話に付き合うととても楽しそうにしていました。「大学ってどんなとこ?楽しい?」と目を輝かせるなど典型的な私立女子高生という感じでした。指導の日は母親が家にいて話すこともありましたが成績には全く興味がなく、母子揃って形だけの家庭教師をつけているようでした。父親に対しての体裁だったのかも知れません。

 開始時間は放課後の明るい時間帯で、終わるころはちょうど早めの夕飯時でした。寮生活の私を気遣ってか毎回夕飯を用意してくれました。それは段々豪華になっていき『〇〇御膳』の様相でした。母親の前でいただくのですが、私が食べる様子を嬉しそうに見ている顔がとても印象に残っています。この家庭の子供は娘二人ということもあって息子を幻想していたのでしょう。

 私の大学卒業をもって終了しましたが、この家庭で指導や成績についてのクレームは一切ありませんでした。ここでも私の職業意識が低くて申し訳なかったと思うものの、この家庭では教え子の興味に付き合い、母親の〇〇御膳を元気良く食べることが私の役割だったように感じます。また母子ともに幸せそうで、それでよかったとも思っています。

 彼女はキャンパスライフを謳歌し、素敵な彼氏を見つけ、結婚して男の子を生み、母親は婿と孫がかわいくてかわいくて仕方がない。きっとそうなったと思います。そんな形の幸せが想像できる微笑ましい家庭でした。