働かないおじさん2

 先回辛いといったテーマですが最近「これか⁈」と思うことがあり早速『2』を投稿することになりました。

 先日ある対人支援のための資格試験の合格発表がありました。結果は学科〇、実技×でした。学科についてはマークシート方式で理論や関連する法律、制度、現状認識などが問われます。実技は論述と面接なのですがいずれもどのように人と接するかを試すものであり、そのためのスキルや心構えを評価されました。私にとって今年はキャリアチェンジのタイミングでもあったのですが、この不合格は事業に対しての資格取得の心理的ダメージよりも×を付けられることのダメージの方が大きく感じられました。

 50年を超える人生経験や30年の会社生活の中ではそれなりに対人能力は身に付いていると思っていました。良い結果をもたらしたこともあれば、悪い結果となりそこから学んだことも数多くあります。もちろん今回は資格に見合ったスキルや心構えが必要であり限られた時間の中でそれを発揮せねばなりません。準備不足であったことは明らかであり大いに反省せねばなりません。

 しかしながら大括りの対人能力というもので×を突きつけれれたことは、社会人としての欠陥を指摘され、大袈裟に言うとこれまでの人生を否定されたような感覚に陥りなかなかのショックでした。同時に「働かないおじさん」の背景にはこういう感覚があるのでは?とも思いました。新しい環境での適応力を測られた時にその基準や尺度が共有できておらず、自信があるものに×がついてしまって馬鹿らしくなったりヤル気を失ってしまう・・。

 もしそうだとすると今回の結果は今後の対人支援において貴重な経験となったのかも知れません。この思いを忘れずにもっと寄り添えられるようになれれば価値ある不合格です。資格取得に向けては改めてしっかり勉強と準備をし再チャレンジする予定です。これまでの経験を新しい要求に結び付けていければ最高です。「働かないおじさん」が「頼れるおじさん」になるヒントが見つかるかも知れないと期待しています。

働かないおじさん

 このタイトルはとても辛いです。私自身の働きぶりが周りからどのように評価されていたかはわかりませんが、年齢的にはドンピシャであり誰からもこのように呼ばれないという自信はありません。同じように使われる言葉として『妖精さん』もあるようですが、こちらは小馬鹿にされた感があるもののファンタジー感の方が強くてピンとこないのでダメージがありません。

 「24時間戦えますか」のCMキャッチフレーズが流行語になるほどバリバリ長時間働くことが大人の在り方のように謳われた時代がありました。私もそういう雰囲気の中で社会に出て、強者の先輩方と仕事をしました。時間管理はあったもののそれをかいくぐって長時間会社に居残り働きました。それでも残っているのは充実していた思い出ばかりです。

 このような時代において今『働かないおじさん』と呼ばれる人たちは実によく働いていました。産業自体の成長や新製品・新事業の創出で仕事は増すばかりでしたがバシバシと捌いていきました。愚痴もたくさん吐きますが、武勇伝のような語りで誇らしげでした。トラブルにも嬉々として飛び込んでいきました。もちろんそんな派手な人ばかりではありませんが、それぞれのスタイルで黙々と、コツコツと、本当によく働いていたと思います。

 ではいつから働かなくなったのでしょう?本当に働いていないんでしょうか?確かにやる気を失ってるように感じられる方もいます。一方で実力に見合わない業務を与えられている場合もあるように思います。「あの人が本気で働いたら周りが付いていけないだろうなぁ」「何故あの人にもっと仕事させないのかなぁ」と思うことがよくありました。おじさん側、企業側双方に何か動機付けできればとても強力なリソースとなるように思います。そのためにもまずはネーミングを廃止したいですね。

退職

 私はこれまでに2度の退職を経験しました。いずれの退職もエネルギーが必要とされとても疲れました。私の場合は努めて1日も無職の状態を作りませんでしたが結果的に正解でした。次に向かうモチベーションがなけれ途中でイヤになったかも知れません。

 1度目の退職は大学卒業後28年1か月勤めた会社でした。幸運にも重要なポストをいただいていたので当然ながら担当役員の抵抗に会いました。円満退社とは言わないまでも私の思いを理解してもらおうとタフな面談を繰り返し退職願受理に1か月ほど時間を要しました。それでも理解は得られなかったように思います。私自身が未熟ったのか最後は引き延ばしされてるようにしか思えませんでした。最終出社日を迎えた時は本当に安堵しました。

 2度目の退職は1年5か月弱の在籍の後でした。コロナ禍に加え元来テレワーク状態で世界中の拠点と仕事をしている外資系企業でしたので帰属意識や人との繋がりは希薄でした。退職意思に対しても強い抵抗もなく、本人の意思を尊重するスタンスでした。採用コストという視点からは採用は失敗だったのだと思いますが、日常的なことのような受け止め方で補填の活動が開始されたと思います。正味2週間の引継ぎをして終わりです。2度目の退職はとても簡単でした。

 ところが退社後は転職ではなく独立起業でしたのでいろんな手続きを個人でやる必要がありました。社会保険や医療保険、年金などが挙げられます。もちろん並行して開業の準備もありました。サラリーマンであれば会社の指示通り手続きすることに何の疑問も持ちませんでしたが、独立後は全て自己責任なので否応なく自分で調べて何を選択すべきか考えるようになります。人事のサポート、保険料や年金の会社負担など日本のサラリーマンは恵まれていると痛感しました。

 

起業

 この度起業しました。退職の手続きや起業の準備に忙しく長らく投稿が滞っていましたが、再開しますのでまたよろしくお願いします。

 さて起業といっても最近はいろんな形があり、副業として起業することもカジュアルになってきたようです。私の場合はサラリーマンを辞めて、個人事業主として事業を営むことになります。昔は脱サラとも呼ばれていましたが、脱サラは私の父の場合のように果物店などの小売業や飲食店を経営するイメージがありました。私はこれまでの経験を生かしてコンサルティングを行いますので独立起業というイメージでしょうか。

 起業にあたってファイナンシャルプランナー資格取得の勉強もしましたので、自分が加入している社会保険制度や年金制度を詳しく知ることになりました。そこで初めて自分や家族がどれほど保護されていたか気づくことになりました。雇用保険もその一つです。幸い大きな事故や病気をすることもありませんでしたが、失って初めてありがたみがわかります。また年金・健康保険の会社負担分も大変ありがたいものです。

 とはいうものの開業届も提出し、新しい人生がスタートしました。コンサルティングというと澄ましたイメージがありますが、どちらかというと自分の知識や経験、ネットワーク期待する方がいれば大いにお手伝いしたいとの思いです。それをセカンドキャリアとしていきたいと思います。

8月12日

 36年前の今日、日本航空123便墜落事故が起きました。私は家業の果物屋の手伝いと強く結びついて記憶しています。事故を知ったのは果物の配達をした帰りでした。商店街の入り口に電器屋があり、店頭のテレビで速報が流れていました。御巣鷹の尾根に墜落したのが18時56分30秒とのことですので19時過ぎてもまだ配達していたということです。お盆前の繁忙期なので朝から手伝っていましたが、日が暮れてもまだ数件の配達が残っていました。その後も電器屋前を通る度に更新される映像に足を止めていました。

 私は初め事故の重大さにあまりピンときていませんでした。未熟だったのでしょう。店に戻って母に「飛行機が落ちたらしいよ」と軽く伝えると、母は血相変えて電器屋に飛んでいきました。この時の母の反応を本当によく覚えています。野次馬のような感じではなく、家族が乗っていると言わんばかりの勢いでした。123便の行き先が最寄りの伊丹空港だったことも明らかになり電器屋のテレビの前にはどんどん人が増えていきました。

 時が経って社会人になりようやく当時の母の反応が理解できるようになりました。全国放送で取り上げられるような事故や災害は何かしら関わりがあります。関りが身内や知り合いの場合もあれば自社や取引先の場合もあります。正しく情報を得て適切な対応が必要となります。実際に多くの事故や災害を経験し、それらは社会で共有して助け合わなければいけないと思うようになりました。

 社会人になって以降、大きな地震や災害がありました。最近は異常気象による災害が増えているようです。海外ではテロや暴動もありました。新型コロナウィルスまん延ももはや災害です。8月12日を迎える度に母の反応が思い出され、事故や災害に正しく向き合うよう再認識させられます。

裁量労働制

 先日、裁量労働制の実態の記事を見ました。適用されていない労働者より1日の平均労働時間が約20分、週平均でも2時間以上上回ったそうで、制度が必ずしも長時間労働の抑制につながっていないという内容でした。

 私もかつて裁量労働制で働いていました。私の勤め先では全ての従業員が対象ではなく、創造的業務に携わるいわゆる係長クラスの従業員に導入されていました。確か制度適用と共に月25時間ほどのみなし残業手当が支給されていたと思います。導入当時、私は年齢的にも役割的にもプロジェクトの中心であり、エンジニアとしても充実していました。今思えばワーカーホリックだったかも知れませんが、仕事が楽しく納得いくまでやりたい思いが強かったのでこの制度はとてもありがたい制度と捉えていました。実際に深夜や休日なども気にせず働いていました。また日々や月毎の残業管理の煩わしさからの解放感もありました。

 しかし制度は長く続きませんでした。正確な理由はわかりませんが、みなし残業時間より長い時間外労働の実態が原因のひとつだったと思います。記事にあるような超過レベルを遥かに超える部署もありました。また現実問題として自身の裁量で業務が進められる環境でない場合が多かったのかも知れません。

 制度が実態に合わず終了したのは残念でしたし、私自身の働き方が家族や周りに悪影響があったかも知れません。しかしながら、この時期に思う存分働けたことは私にとってはとても有意義でした。エンジニアとしての成長もありましたし、後のキャリアにも生かされました。時代にあわせて働き方や制度は変化していきます。より多くの人が成長し会社が発展するよう期待したいです。また上手に活用することも心掛けていきたいです。

耕不尽

 このブログの名前です。『耕不尽』という言葉そのものは固定ページの方で説明しているのでご参照ください。ブログ名にするくらいなので管理人の私が強い経験の中から得られたものだと思われるかも知れません。しかしこれは全く突然に私の中に入ってきたものなのです。

 私は社会人2年目に結婚しました。90年代前半のことです。当時の典型的な結婚式で仲人は会社の上司、参列者は双方から40人位、場所はホテルでした。仲人・主賓の挨拶、乾杯、お色直し・キャンドルサービス・ケーキカットと続き、友人からのメッセージ・余興を終えいよいよ締めとなる新郎新婦・両家代表の挨拶となりました。私は未熟であったので定型の極めてシンプルなものが精一杯でしたが父は違っていました。もともとスピーチ好きなのでしょう、言葉使いは感謝でいっぱいでしたが、いよいよワシの出番とばかりに練りに練った挨拶を展開しました。この中に『耕不尽』が出てくるのです。

 若い二人をどうぞ見守っていただきたいというくだりで「我が家の床の間に『耕不尽』とありまして若い二人にも・・・」と出てきました。私は『???』です。20年近く暮らした家の中にそんなものが掛かっていたのを全く知りませんでした。後に実家に帰り確認すると確かにそれはありました。色紙のようなものに書かれ額に入っていました。達筆でまた『尽』も旧字体の『盡』でしたので読めずに気に留めなかったのだと思います。

 私は少々ずぼらなところがあると自覚しているので、その戒めとして座右の銘のようなものを尋ねられた時は『継続は力なり』のようにコツコツ努力を続けるような名言を返していました。しかし実はこんなに近くに『継続して努力し、そしてそれは尽きることがない』という言葉があったのです。遅ればせながらも気付きから四半世紀が過ぎました。これからも大切にして、人生を振り返った時に「あの言葉は自分を支えてくれたな」と思えると嬉しいです。

ほうれんそう

 会社生活でよく聞かれる『ほうれんそう』、もちろん野菜のことではなく『報告』『連絡』『相談』初めの一文字ずつ取って作られた造語です。特に上司とのコミュニケーションに有効な方法として用いられてきました。起源を辿ると1982年に作られ発明者もはっきりしているようです。最近ではかなり古い言葉になりつつあり、あまり真剣なシーンでは使われていないかも知れません。さて、この『ほうれんそう』ですがみなさんはどのように感じているでしょうか?

 部下の立場では自身の業務進捗や成果を正しく理解してもらえタイムリーに指導や助言をもらえるメリットがあります。もっと進んで自信をアピールする絶好の機会と考えてる人もいます。一方、「資料や時間調整がめんどくさい」「そんな時間があるなら仕事をしたい」と思うこともあるでしょう。中にはコミュニケーションそのものがとても苦手で強いストレスを感じている人もいます。

 上司の立場では部下の業務進捗をダイジェストで入手でき、方向修正が必要な場合にもロスが少なくて済むメリットがあります。また偏りなく部下との時間が持てることはとても貴重です。美しくまとめられ、凝ったアニメーションや動画・ウェブサイトにピョンピョン飛ぶPowerPointがお気に入りな上司もいれば、真っ先に端的な結論を求める人もいるでしょう。ここぞとばかりに高圧的になりパワハラを犯してしまう場合もあります。

 本来双方にとってメリットがあるのですがデメリットを敏感に捉えがちで徐々に苦痛に感じる傾向にあるのではないでしょうか。また完全に意気投合してしまっては何か見落としがあるかも知れません。私の場合、若い頃は面倒くさいと考えることが多かったです。それでも必要性は感じていたので、ありもの資料を活用しタイムリーであることを心掛けて行っていました。向き合い方によってはもっと成長できたようにも思います。報告を受ける側になるとさらにメリットとデメリットがはっきりわかるようになってきました。お互いの成長のためと思って是非上手に使っていきたいものです。

テレワーク

 コロナ禍のおかげですっかりメジャーな言葉になりました。コロナが収まってもツールや使い方の進化は止まらず、むしろ加速していくのではないでしょうか。

 5年ほど前にアメリカに赴任していたことがあります。現地法人を運営する立場でした。国土が広く、ITも発達していて、何より合理的な社会ということもあってリモートが身近にありました。また自分のデスクや会社以外で仕事をする光景もよく見ました。

 初めは何事にも自由を求めているのかと思っていましたが、これらを活用する人達はほぼ生産性を上けていることに気づきました。アウトプットを増やす人もいれば新しいアイデアを創造する人もいました。より快適な環境を求める声も多くあり、就職条件のひとつとして考えられていたようです。当時会社の課題であった高い離職率を低減させるために環境整備に取り組んだこともあります。

 日本に帰任してもテレワークやリモートワークの推進をしましたがなかなか浸透しませんでした。どうもサボっているとみられるようです。しかしコロナのおかげで一躍ノーマルな働き方となってしまいました。浸透しない土壌でしたので、まだまだ無駄も多く、サボっている人もいるでしょう。しかし、これを機に生産性を上げる人が生まれ、会社も当たり前にそれを期待するようになると思います。

 働く環境を使いこなすことが専門性あるスキルを持つことより優先されるようになるかも知れません。

仕事

 仕事とは?と問われると一瞬回答に困ったりしますが、気に入った例えがあります。それは『仕事とは穴を埋めるようなものだ』です。いつ、どこで見聞きしたのか覚えていませんが気持ち良く心に残っています。

 穴というのは道に開いた穴を想像しました。穴には大きなものや小さいもの、深いもの浅いもの、まん丸いものいびつなもの、いろいろあります。人はそれぞれ個性や能力に違いがあり、それぞれが能力を発揮して自分に見合った穴を埋める。力のある人は大きな穴を、特技のある人はいびつな穴を埋められるでしょう。時には何人か協力してとても大きな穴を埋めることもあるでしょう。その結果、みんなが安全に使える道が維持されます。会社や社会へのアウトプットとして繋がりが感じられます。

 自分に見合った穴に巡り合えるかどうかの心配はありますが、このように仕事を捉えると「これは自分が埋めるべき穴だ、頑張ろう」と思えてきます。若い頃は与えられる仕事が多く、自分の穴だと信じ込んで取り組んでいたように思います。上司に恵まれたのか、緊張感のあるチャレンジを経てやり切れることが多く、心地良い達成感がありました。

 少しずつ小さくなっても穴を埋め続けていたいと思います。