世代

 ある年代をまとめて呼ぶときに世代という言葉があります。団塊の世代、団塊ジュニア世代、ゆとり世代、ミレニアム世代、Z世代(ジェネレーションZ)などいろいろあります。また新人類や(就職)氷河期時代などと分類することもあります。私はバブル世代とも新人類とも呼ばれました。また親や子がそれぞれの年代あたりを親世代、子世代と呼んだり、会社の経営者ごとに先代とか先々代と呼ぶこともあります。

  世代として一括りに呼ばれたくない、画一的に決めつけられているようで嫌だ、という意見を聞くことがあります。一方、そもそも世代を選んで生まれたわけではなく、たまたま生まれ落ちた年代なので全く気にしないという方もいるかも知れません。しかしながら私は世代という言葉には何か共感するものがあります。

 世代名が表すようにそれぞれの世代には望もうが望まなかろうが独特の環境の中で生きることになります。不憫と思われる世代もあればラッキーと思われる世代もあります。それでも多くの人は卑屈になったり浮かれたりせず生きています。それぞれの世代を認めて自分の役割を全うしようとしているように見えます。そうやって世代を繋げていくのが人の営みのようにも思えます。

 私自身がセカンドキャリアをスタートするにあたってこの『世代を繋ぐ』ことをテーマに考えました。これまで、またこれからの習得によって得られたものを余すことなく使って実現していきたいと思います。その思いを込めて屋号をつけました。私も私世代の役割を果たせられたらハッピーです。

医療スタッフ

 先月初めて病気で入院し気付いたことがあります。それは医療スタッフの若さです。最前線で奮闘されているドクターはじめ看護師、サポートスタッフの多くがとても若いと感じました。これまでの私の病院に対するイメージは重鎮のような雰囲気のドクターに凄惨な現場でも全く動じない肝の据わったベテラン看護師でした。かなり偏見が入っていますが・・・

 私自身が歳をとったこともあります。会社において地位が上がるにつれて教わることも指示されることも減っていきます。ましてや若いメンバーからは皆無になります。むしろ立場上、彼らが言うことを確かめる(疑われてると思われているでしょう)ことすらあり、場合によっては間違いを正します。

 病院ではそうはいきません。若かろうが頼りなさげに見えうが信頼して身を預けるしかありません。しかし若いみなさんはとてもプロフェッショナルでした。加えて、私が入ったおじさん4人部屋のどの患者とも彼ら彼女らなりに敬意をもって接する姿はとても素晴らしく感心しました。気を遣ってもらって申し訳ないという感情も湧きました。

 会社勤めでは気付き難かったのですが今回の入院を通じて若い世代がしっかりと社会を背負いつつあるのだと実感しました。頼もしいです。私自身は次の世代に繋ぎ託していく世代に入ってきていると思います。若い世代と協調しながら自分世代の役割をしっかり果たしていけるようなキャリアを作っていきたいと思います。

入院

 先日、虫垂炎を患い入院することになりました。数日前から熱があったりお腹に痛みがあっりしたのでクリニックで診てもらいましたが原因がわからず、総合病院にかかったことろ虫垂炎と診断され即日入院となり5泊6日を過ごすことになりました。体の丈夫さには少なからず自信があったので「まさか」の思いでした。

 社会人になってから初めての入院です。金曜日でした。その日の午後にも訪問予定の会社があったのですぐに連絡し、病室に入ってからは次週訪問予定のお客様に順番に連絡しながら日程変更の調整を始めました。現在は個人事業主としてコンサルティングをしているので日程調整には柔軟性があり、お客様のご厚意もあってスムースに対応することができました。

 入院中、これがサラリーマン時代におきたらどうだっただろうと考えました。スケジュールびっちりの中、突然何日も休むこと自体がストレスになったのではないかと思いました。特に部門長を務めているような時だと相当に。私自身の責任感や部門長像に偏りがあるのも一因と思いますが、少なからずそう思う方もおられるのではないでしょうか。今回は計6日でしたが半月、数カ月となると「会社や部下に大変迷惑かけた」「部門長は続けられない」と自身を責めてしまうかも知れません。

 これまで同僚や部下が病欠することはありました。純粋な気持ちで「まずはしっかり治しましょう」と声掛けていましたが、当人はとても深刻に悩んでいて声掛けも負担になっていたのかも知れないと思いました。改めて『寄り添う』ことの大切さと難しさを感じます。私が思うようなストレスを持つ方やそんな雰囲気の会社は少ないと願いたいですね。

 

キャリア形成

 ここ数年になって「キャリア」という言葉を聞くようになり、私自身も使うようになりました。少し澄ました響きがあり、使った後にインテリぶったように捉えられることがあります。厚生労働省HPでは「キャリア」について「過去から将来の長期にわたる職務経験やこれに伴う計画的な能力開発の連鎖」と紹介されています。人生100年時代を迎え、定年延長や年金支給年齢引き上げを推進するためにも職業人としての充実を強く勧めているのでしょう。

 「キャリア形成」とは能動的にキャリアを作ることを意味しますが、私が就職した頃にはこのような発想はありませんでした。それでも30年のサラリーマン生活を振り返るとそれなりのキャリアが形成されており現在のコンサルティング業に強く繋がっています。私自身は何も考えずひたすら目の前の仕事に取り組んでいたことしか思い出せませんが、人と機会に恵まれたおかげだと思います。一方、もっと早く「キャリア形成」の意義を知り、自身やメンバーの育成に取り込められたら良かったのにとも思います。

 この30年で職場環境は大きく変わりました。それでも価値観はそれほど大きく変わらなかったように思います。それは私がキャリア形成できた一因にもなったと思います。しかし現在はどうでしょうか。職場環境はこれまでよりはるかに速いスピードで変化し、価値観すらも変化しているように思います。先輩から受け継いできたものが有効ではなくなる不安もあります。リカレント教育やリスキリングといった言葉をよく聞くのもその表れではないでしょうか。メンバーの育成を振り返ると「あれでよかったのか」と内省し、罪悪感を感じることすらあります。

 昨年対人支援の国家資格の受験に失敗した話を書きました。仲間の助けもあって今年なんとか合格することができました。資格所得を機にやり残した仕事としてキャリア形成支援をしていきたいと考えています。一緒にやってきたメンバーや同じような境遇の方々が激動の時代においてもイキイキと働き続けられる一助となればとの思いです。

心理的安全性

 『心理的安全性(psychological safety)』とは組織行動学を研究するエイミー・エドモンドソン教授が1999年に概念を提唱し、「対人関係上のリスクをとったとしても安心できるというチームメンバーとの共通の信念」と定義しました。言い換えると「メンバーが自分の発言を恥かしめられたり、拒絶されたり、罰を与えられるようなことがないと確信をもてる状態であり、チームは対人関係上安全な場所だとメンバー 間で共有された状態」と言えます。米グーグルが生産性の高い働き方について調べた結果から「心理的安全性がチームの生産性を高める重要な要素である」と結論付けたことから昨今注目されるようになりました。

 私はサラリーマン生活を通じて数人から300人まで大小様々な組織を運営してきました。組織の大小にかかわらず、組織やメンバーが成長し目標に向かって能力を最大限に発揮するにはどうすればよいか常に考えていました。「一丸となって・・」「チームワークで・・」「互いに助け合って・・」と言ってみたり、「失敗を恐れずに・・」「個の力を高め、発揮して・・」「思い切って・・」と鼓舞したり様々な言葉を使ってきました。私の思いが定まっていなかったのかも知れません。幸いメンバーの高い能力に恵まれ一定の成果をあげられましたが、内心ではもっとシンプルな言葉で組織の在り方を表現し、組織づくりの根本としたいと思っていました。

 そんな折、『心理的安全性』に出会い、「そう、その感じ!」と感心しました。この言葉には「組織の目標達成に向けて」「互いをリスペクトし」「能力を最大限発揮し」「成長する」等々が全て含まれているように感じます。また『仲良しこよし』組織という感じもなく健全な組織がイメージされました。『心理的安全性』はメンバーに直接かける言葉ではありませんが、この言葉にもっと早く出会えたら、もっと良い組織運営ができたと思います。またメンバーの立場としてもっと大きな成果が出せたように思います。私にとって不思議な力を持つ言葉です。

1on1(ワンオンワン)

 新しいミーティングの形態として会社でも取り入れられるようになってきているようです。米国シリコンバレー由来とされており、上司と部下が1対1で面談を行います。評価面談とは異なり、日常的な悩みや不安、業務での課題や思いを共有します。部下から上司への報告や上司から部下への指示を主なる目的とした場ではありません。頻度は週1、最低でも月1とされています。時間は長くて30分とか、本音を話すためには最低60分とか様々な考え方があるようです。

 コロナ禍で進んだテレワーク、隔離生活の背反として雑談の機会が激減し、それを補う効果もあると言われています。確かにちょっとした立ち話、移動中や休憩場での会話、レクリエーションやイベントを通じてコミュニケーションが図られ、業務や人間関係がうまく維持されていたことは納得がいきます。

 私は外資系企業に勤めていた時に部下として1on1を経験しました。社内のルールとして定められていました。目的や仕組みの説明を受けた時は大変ありがたいミーティングと思いました。転職後ということもあり自分からいろんなことを尋ねたり、また上司からも会社のことや思いを聞くことができました。上司の個人的な好き嫌い、他者への賞賛、批判など人間性までにじみ出た話は聞いていて楽しかったです。

 しかし職場や業務に慣れてくると、次第に業務報告、指示の場に変わっていきました。時間も長くなりがちで仕切り直して延長戦となることもありました。私の上司は10人位の部下と毎週、各30分1on1ミーティングをしていましたので単純にこれだけで5時間。自身も上司とのミーティングがあったので、およそ週に1日をコミュニケーションに費やしていたと思います。多くの会議やメール対応に加え本来の考える業務を思うと、1on1の時間は業務進捗に使いたくなるのは理解でき、同情も湧きます。

 インターネットや書籍には1on1がうまくいくポイントや陥りやすい失敗がたくさん紹介されています。しかしいずれも「そりゃそうなんだけど・・」と思えてしまいます。目的は素晴らしいと思うので、当事者2人に適した1on1をできるだけ早く見つけたいものです。そう思うと『雑談』は本当に偉大なものですね。1on1がうまくいくことについて雑談すれば簡単に見つかるかも知れません。

退職2

 以前退職には大変なエネルギーがかかると書きました。しかし退職には新しい発見も多く、今回はそれについて書きたいと思います。そのひとつに「相手が私をどのように見ていたかわかること」があります。

 退職して新しい会社に勤めたり自分で事業を始めても引き継き関係を持つ方々がいます。もちろんお付き合いの仕方は変わってくるのですが、改めて挨拶に回ります。前職でのお礼を申し上げたり、昔話をするうちに「実は・・・」と話してくてることがよくあります。

 上司や得意先さんの場合は、私の思いを叶えられなった後悔を打ち明けられるケースが多いように思います。ご自身が私に共感していながらも支持できなかったり、時には私が主張できていたたことが羨ましかったとおっしゃる方もいます。そして挨拶を温かく受け入れてくれます。この方も同じように悩んでいたのだなと思いながら、やってきたことに間違いがなかったと誇らしくも思います。この方とまた繋がっていられることに幸せを感じます。

 後輩や仕入先さんはまた違った打ち明けをされたります。「実はあの時こんな状態で、〇〇さん(私)に言われたことで私や家族が救われたんです」や「〇〇さんが△△さんにこういったくださったおかげでうまくいったんです」と時には涙して語ってくれる方もいます。また私がそれほど意識をしていなかったにもかかわらず「〇〇さんに厳しく育てられて私の今があるんです」と打ち明けられたこともあります。そんな思いでいてくれたんだと驚くと共に「あぁあの時しっかりやっておいてよかったなぁ、報われたなぁ」としみじみ思います。

 在職中にも深いコミュニケーションは取っているつもりですが不思議なことに在籍中に聞かされることはごく稀です。恥ずかしかったり、気を遣って関係が変わってしまうのを心配してしまうせいでしょうか。次に向けての励ましが入っているのかも知れませんが、いずれにしても新しい自分を発見でき次のチャレンジにポジティブに向かえます。

宅配便の仕分け

 学生時代(1990年頃)に宅配便の仕分けのアルバイトをしていました。夜勤シフトは時給が良く1000円でした。事前連絡は必要なく、始業時間までに作業員詰所にいれば仕事を与えてくれました。支出に計画性がなく、夜行性の生活をしていた私にとってとても好都合なアルバイトでした。お金が足りなくなると行っては明け方に現金8000円をもらい、そのお金で生活していました。学生にとっては十分な金額でした。

 仕事内容はベルトコンベアから流れてくる荷物を地域別に取り出し、トラックに積むためのカーゴに詰める作業でした。様々な形や重さの荷物を決められたサイズのカーゴに、できるだけ多くかつ重量バランスよくの荷物を詰め込めよう指示されました。

 やり始めてみるとパズルのようで楽しかったです。ひとカーゴ詰め終えると自分なりに出来を評価し、荷物によってどう組わせていけばよいかを習得していきました。会心のひとカーゴができた時は心地良い達成感がありました。作業場に屋根はありましたがトラックの荷台が着くためほぼ屋外でした。冬の明け方は相当寒かったはずですがネガティブな思い出が全くありません。仕事内容と報酬に相当満足していたのだと思います。

 不思議と働いていた人のことは全く覚えていません。作業が始まれば人と話すことはありませんし、作業員手配係の人とも出席確認とバイト代を受け取るだけで合計1分も交わりません。どこの誰が働いていたか管理もされていなかったと思います。しかしながらそんな世界があることが知れたことは良い経験でした。名もなき労働者もまた社会の一部ということです。

 単純作業の中にも創意工夫がありどんな仕事にもやりがいが見つけられることを学び、社会に出た後に役立ちました。現代ではロボットが得意とする作業だと思います。AIが搭載されたロボットなら人間よりはるかに正確に素早くやってのけるでしょう。現にそうなっているように思います。経済合理性に基づいてロボットを導入することは否定をしませんが、名もなき労働者の受け皿や社会に出るための準備の機会まで失われてしまっているとすると少し残念に思います。

初受注

 昨年9月に個人事業としてコンサルティングを始めました。年内は開業の挨拶や専門家登録などを中心に、受注1件を目標としていました。12月になって全く予期していなかったとこから「少しお願いしたい」と声がかかりました。依頼内容は事業内容にも載せていなかったのですがお悩みを聞いてみると私が経験して十分な知見のあることだったのでお引き受けすることになり初受注となりました。

 昨年内の初受注は半ば願望のようなものでしたが現実となり嬉しさと驚きで気持ちがいっぱいになりました。本当にラッキーな形の受注であり、ご縁の不思議をつくづく実感しました。また自覚していなかったお役に立つものが発見できたのも幸運でした。今月には費用を振り込んでいただき真っ新の事業用口座に記念すべき初売上が刻まれました。

 そして初受注にも増して嬉しかったのがお客さんからの感謝の言葉でした。大変困った状況だったようで「いい方に巡り合えて本当によかった」と言ってくれました。心から発せられていることが伝わり、とても胸に響きまた新鮮でした。誰かのお手伝いをしようとコンサルティングを起業しましたが『やりがい』として求めていたものはこれだったのかと思い知らされた言葉でした。

 嬉しい反面、会社生活においてお客さんに感謝されるような努力を続けていたか?周りの人に正しく感謝を伝えていたか?と振り返る機会になりました。社会に出た時には『世のため、人のため、成長のため』と意気込んでいたと思うのですが、長い会社生活の中で忘れてしまっていたものがたくさんあったように思います。今回の感動を忘れずに一日も長く、一企業でも一人でも多く支援できるよう頑張りたいと思います。

45歳定年制

 昨年9月にサントリーホールディングスの新浪剛史社長が提言した『45歳定年制』がメディアに取り上げられ、関心の高いワードしてSNSも湧かせました。私の周りでもいろんな意見が聞かれました。50歳を過ぎて初めての転職をし、後に起業して現在53歳の私がこのニュースを聞いた時「そんな制度があったらもっと悩まずにキャリアチェンジができたのにな」という感情がありました。もちろん会社や家庭の複雑な事情を全てないものとした場合です。また新卒から同じ会社で勤め上げてた場合です。

 私は製造業でエンジニアをしていましたが20年もやれば節目の様なものが見えてきます。よほどの精進をしていなければ第一線では使えなくなりますし、マネージメントらしきものが職務に加わってくると技術は衰えていくばかりでとても世界と戦うような鋭さが保てるとは思えませんでした。技術の成長は人の成長よりはるかに速いように感じていました。

 マネージメントも似たようなものでした。意識しないようにしていても成功体験が判断基準になりがちです。上司もそれを期待して役職に任命したり指示をするので必然です。つまりその瞬間だけに有効な人事にしてしまっていたように思います。また厄介なことに技術のケースと違って優劣がはっきりしません。システムや運営の仕方が遅れてたり育成の方向を間違えていてもすぐには気が付かないのではないでしょうか。ましてや挽回のアクションなど起こりようがありません。マネージャーはエンジニア以上に旬が短いように感じます。

 このように感じていた私は昨今の変革期にあたって少しでも若い世代に早くバトンを渡したいと思っていて自身のセカンドキャリアを考えるようになりました。しかしながら同じように考える人ばかりではなく理解すらされないことも多く次に進むのにたいへんなエネルギーを費やしました。「45歳定年制さえあれば・・・」です。

 しかし解決し難い問題が多いのも理解します。終身雇用を前提とした報酬のもらい方もそうですし、定年後の働き方についての理解や人材マーケットも未熟のように感じます。45歳以上に期待するものが何もないとは全く思っていません。衰える能力も多くありますが、複雑でめんどくさくて感情が入り乱れたりするような問題を理屈抜きに解いてしまう能力があったりします。上手な制度設計や動機付けで次世代がより明るくなるのではと期待しています。